ご覧いただきありがとうございます。
酒粕です。
こちらの自己紹介の記事で、簡単に触れたが、なぜ私が、日常的に大量のアルコールを摂取するようになったのかについて話そうと思う。
主に大学時代のこと。
escape-alcoholic.hatenablog.com
これは自戒の意味を持つ文章だが、共感できる人がいると嬉しいな。
長くなるかもしれない。
①お酒との初対面
氷結だったと思う。レモンの。
大学受験を終え、やらなければならないことも無くなった私は、友達と一緒に氷結を飲んだ。
氷結は「普通に飲めるな」という感覚だったと記憶してる。
けど、それが酒である必要はなくて、友達といけないことしてる感じが楽しかった。
味についてはもうおぼろげ。ほとんど覚えていない。
けど、「来年から別々の場所だな」って話したことは覚えている。
②最低な思い出
今でも思い出せる、大学のサークルの新人歓迎会。
高校時代に野球をやっていたこともあり、野球系のサークルを見に行った。
場所は〇〇公園にて!って書いてあるものだから、てっきり、キャッチボールをしたり、野球をするんだと思っていた。
けど、違った。
〇〇公園は、花見の会場だった。()
2010年ごろに流行った金髪、ピアス、タバコの匂いがする男達。
野球経験者だからガタイも良かった。
野球サークルなのに、野球のルールも知らないような謎の女たちも多数。
まあ、可愛かったからいいけど。
当時はドがつくほどの童貞で、恐れ慄いた。
「飲んで飲んで飲んで〜お前が飲まなきゃ誰が飲むッ?あーい!飲んでry...」
クソキモいコールが飛び交っていた。
新一年生ということで、案の定飲まされた。
味なんてあってないようなもので、氷結を大量に飲んだことを覚えている。
田舎から一人で出てきた私にはその空気は限界だった。
昔、地元で友達と飲んだ氷結レモンは悪くなかったのにな。
こうして、初めての二日酔いを経験した。
酒はしばらく飲まなかった。
もちろんサークルにも加入しなかった。
③初めてお酒を美味しいと思った日
そこから半年ほど経った頃だろうか、バイト先の先輩の紹介で、飲み屋でのバイトを始めることになった。
当時、まだ絶賛ぼっち陰キャだった私だが、その先輩とは親しくなっていた。
音楽の趣味も似ている、会話の波長も合う、何より優しくて尊敬していた。
先輩はGoing Steadyを好んで聞いていた。
「佳代」も「Baby Baby」も一緒に歌った。
そこでのバイト内容は、他の一般的な飲食店とは違い、お客との距離がかなり近い店だった。大して大きな店じゃないし、キャラクターが豊かだったから、お客の顔と名前を一致させるのは簡単だった。
バイト先では賄いにビールが提供された。当時はまだ、運動部の名残からか、大食漢だった私は、余った食材を全て食べ尽くした。
少量のビールをおまけ程度に飲ませてもらった。
初日はまったく美味しいと思わなかった。
それから何回か、初めての居酒屋バイトをなんとかこなした。
お客達は皆、愉快な酔っ払いだった。
コミュ障の私も、勢いに戸惑いながらも楽しく会話することができた。
そして3回目の勤務後、店長からいつも通りの食事と、あるセリフを共して少量のビールが提供された。
「疲れたやろ?働いた後のビールが世界で一番うまいで、ファンタオレンジみたいな感じするで、一気に行ってみ」
あ、うまい、、、かも。
と感じた。この日のことは割と鮮明に覚えている。
そこから習慣的に酒を飲むようになるのには時間はかからなかった。
④習慣と環境について
また、バイトに入るたびに、顔馴染みのお客が増えてきた。
私のことを気に入ってくれるお客も少なからず存在した。
自分にとってみれば、親や祖父母の年齢でもおかしくない人たちもいたし、姉や兄の年齢とほとんど変わらない人たちもいた。
大学やサークルに居場所を見出せずにいた私にとって、そこはホームになった。
ただ、酒場なわけで、当然、手には必ずお酒があった。
バイト終わりにお客とバーで待ち合わせて飲むこともあった。
その繋がりを辿り、おかげ様で、馴染みのバーも何件かできた。
数ヶ月もバイトを続けていくうちに、一人でバーにいくことも増えた。
家で一人で酒を飲むことも、次第に増えていった。
その頃、ちょうど失恋をした。
それが連続飲酒へのスリーアウト目だった。
⑤最後に(いったん最後)
先輩からの紹介で始めた居酒屋のバイトだったが、出会えたことにどれだけ感謝しても仕切れないほどお世話になった。
当時はまだ若かったし、全てが新鮮で、勉強になることもたくさんあった。
あの経験は自分を作り上げたと言っても過言ではないと思う。
(良い意味でも悪い意味でも。90 : 10 くらい)
次回もたぶん大学時代の話。